以前、インドでヨガの輪廻転生について学んだ時、
先生から「あらゆる生物や鉱物に何度も生まれ変わる中で、徳を積んでやっと人になれる。
人として7回生まれ変われるが、ここで修行を完成させないと、また人以外からやり直しになる」
との説明を受けたと私は記憶している。
後になって「人として7回生まれ変わる」が気になり、
ヨガのテキストや幾つかの本を見たが、根拠となるものは見つからず。
ただの戒めか?
何れにしても「ひと時も無駄にせず、修行に励め」ということか、と理解している。
ところが最近、人としての7回の人生では到底悟れないことが判明した!
先日、京都在住のヴィパッサナー瞑想者の友人が高速バスで福岡に来た。
友人に会うため、早朝に博多へ行ってきた。
朝食を食べながら、自然と話題は瞑想の話になる。
そこで初めて知ったのが、「三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)」。
三阿僧祇劫とは、
「菩薩が発心してから悟りをひらくまでの五十位の修行に要する期間のこと」『日本国語大辞典』より。
「菩薩(ぼさつ)が仏果を得るまでの段階を三つに分けたもの」『デジタル大辞泉』より。
平たく言えば、ブッダが悟りを開くまでにかかった時間ということか。
具体的にどの位なのかを調べてみると、
とてつもなく気の遠くなるような、
何となく笑いを誘う、独特な表し方。
劫(こう)はサンスクリット語のkalpaで長さの単位。
劫の長さを表す具体的な例として、
「1辺が1ヨージャナ(由旬(ゆじゅん)。約7キロメートル)の立方体の大城に芥子粒を満たし、長寿の人が100年に一度きてそれを1粒ずつ取り出してついに芥子粒がなくなっても、なお劫は尽きないというのである」『日本大百科全書(ニッポニカ)』より。
7km3の城にケシを詰め、百年に一粒ずつ…空になってもまだまだ…想像を絶する!
なんて、やる気を無くさせるふわっとした表現なんだ、と驚愕、そして落胆。
劫だけでも十分に果てしないのに、
さらに阿僧祇(あそうぎ)は数え切れない数を表す。
ブッダが解脱するまでにこれだけの時間を要したなら、
凡人以下の私は一体何回生まれ変わらなければならないのか!
インドから帰国後、
このコロナ禍において、
毎日自宅で瞑想・ヨガ・呼吸法の三点セット3時間コースを続け、
ちょっとだけいい気になっていた。
出鼻を挫かれたというか、まだまだ道は果てしないことを思い知った。